企画・寄稿インタビュー

【特別寄稿】
2024オリンピック・パリ大会の年に〜すべては経験から始まる〜

全日本ジュニア体操連盟クラブ 副会長 大会実行副委員長
長澤 稔子

4年に一度のオリンピック。今年は、第18回の東京大会から60年──。
光陰矢の如しである。

「オリンピック」の言葉には「夢・憧れ・希望」などの意味も含まれるが、今回は、それを打ち砕くような出来事をあまり期せずに終わってしまった感がある。

全日本ジュニア体操競技選手権大会は、いつもと変わらず8月12日に幕を開けた。しかし、会場を高崎アリーナに移したことで、変わらないはずのものが実は変わっていた。横浜から高崎に移ったというこの中で、当たり前と思っていた運営が少し戸惑いを見せた。その中でも連盟スタッフは懸命の努力を続けていた。

全ては、この大会を楽しみに練習を積んでいる沢山の選手を迎えるために…。17日に最終日を迎え、今年は最後の表彰式まで出来たことで安堵もした。柴山会長の読み上げる賞状・・・このお話は初めてであったが、「2019年横浜文体で池田敬子前会長以来かと、過ぎ去った時の長さ」が想われた。

1975年ジュニア競技会として発足した当連盟は、来年50の節目の年となる。この50年間にオリンピックや世界選手権大会の代表となった選手は、皆このジュニア選手権の出場経験者であることは間違いない。これは誇りに思ってよい事だろう。しかし、このことをただ「想う」ことだけに止まらず次の世代に繋げることも考えておかなければならない。

1 ジュニア連盟の役割

すでに伝説になろうとしているが、池田敬子前会長が三十代で世界選手権に出場し、個人総合3位になった時、1位のベラ・チャスラフスカ(チェコスロバキア)が二十代、2位のN・クチンスカヤ(旧ソビエト連邦)が十代の選手。池田さんは表彰台の上で思ったそうである”日本も、早くジュニア選手の育成に取り組まないと世界から取り残される“ と。

この思いも、すんなり事が運んだわけではない。協会も難色を示したそうである。始まりは女子選手だけの国際大会であった。駒沢体育館での第1回大会は、私も審判員として参加している。その後も仙台、札幌、山梨などで大会が開催された。オリンピックは東京大会で団体3位銅メダルになったものの、それ以降、女子団体はなかなか国際で上位になれなかった。

しかし、男子もミュンヘン・オリンピック以降低迷していた期間があった。ローマ大会から20年間王座を誇っていた男子団体も、中国にその座を明け渡していた。2004年のアテネ五輪、28年ぶりとなった男子の団体総合優勝は、横浜文化体育館で全日本ジュニア体操選手権大会の真最中だった。大会会場は、まるで祝賀会のような晴れやかな雰囲気に包まれ、選手たちも興奮の中で演技にのぞみ、思い出に残る大会となった。後に、「この優勝は、ジュニア連盟があったから〜」と言ってくださった協会役員の方がいて、連盟としても一つの大きな役割を果たすことが出来たと喜び合った。

人を残す

組織を作ることの大きな目的は「人を残す」ことにあるだろう。ものは、作っただけでは何時か消えてしまう。体操競技の選手を育成することが最大の目的であったとしても、選手を育てるにはそれを指導できる人間が必要である。早く・・という焦りの中で、以前はかなり無理をするケースもあった。エスカレートする中で生じたのが「パワハラ」で、これは大きな社会問題となった。叩いたり、罵詈雑言を浴びせても選手は育てられない。必要なのは正しい知識を持つことと、物事の本質を理解し、先を見通すことのできる指導者である。

今年の大会では”困ったな“と感じた状況が目に付いた。5年ぶりのリーダー会議ではあった。事務局から知らせてあった「注意事項」は、果たして読まれていたのだろうか。最近は当たり前のように”ペーパーレス“と言われるが、ならば、事前にホームページに記載されたことは知った上で会議に参加してほしいと思う。中にはプリントアウトして持参していたコーチもいたので、読んでなかった人は極僅かなのだろう。しかし、競技が始まり選手席を見ると、大きな荷物が置かれている。今に始まったことではない。何故かその大半は女子である。まだ横浜文化体育館で大会をやっていた頃、余りにもひどい状況なので本部席から降りて行った。

「リーダー会議でも注意をしました。席から下ろしてくださいね」。ところが、その中の一人の選手が顎をしてしゃくるようにして「聞いてません!」と言い放った。コーチは会議での注意事項を話していなかったのか…。それにしても、”こんな思いあがった態度を平然とする選手が日本の代表になるようなら、女子はメダルを取れないだろうな“と考えた出来事だった。男子に比べて、精神的な未熟さは残念ながら今も変わらない。選手である前に、人として成熟してほしいとの願いがなかなか伝わらない、もどかしさがある。

リーダーとしての役割

人を育てることの難しい時代と感じている。生成AIなるものが勝手に答えを出す時代。人間の所作など無視してしまう方が楽なのである。でもそれが本当に良い事なのかの疑問は残る。

人が生きていく中では必ず何かを「選択」する場面に遭遇する。つまり優先順位を決めなければならない時がある。何が「善」で、何が「悪」なのかの選択肢は、人が生きてきた中での経験が基準になっているようにも思える。つまり、何を基準に良し悪しを決めるのかということである。この判断基準をリーダーはしっかりと持っていることが大事である。先日、ある新聞にこんな記事があった。

「リーダーは『知的財産』を養うことが必要。先ずは、知的作業をすること」と書かれていた。知的作業は何をしたら良いのかということの中に”本を読むこと“とあった。最近は、小学校ですらiPadで授業が進められている。挿絵もほとんどなかった私の頃の教科書と違い、教室に設置されたモニター画面は次々と変わっていく。これからの時代、パソコンを操れないようでは困るということも十分理解してはいる。この種の授業形態は、数年前から論争を呼んでいた。

本を読むことに寄せる期待は「想像力」を高めることにあるのではないかと考える。本でなくとも良い。活字に触れることをしてほしい。新聞でも資料でも良い。文字を「読む」ことに慣れてほしいのである。そして、出来れば並行して「書く」作業もしてほしい。若い人は、昭和の時代に戻すのかとあざ笑うかもしれないが、読むこと、書くことを続けていくと自身の「思考」がまとまってくるように思えるのである。

人は、文字を持つことで、他の生き物と大きな差のある文化を持つに至った。「心の思考が人生を創る」とは中村天風さんの言葉である。

写真提供:オールスポーツコミュニティー
写真提供:オールスポーツコミュニティー

パリオリンピック日本代表女子選手達のコーチ、山崎コーチ・外村コーチ・豊島コーチに花束を贈呈する長澤稔子副会長

2 変わる時

生きとし生きるものに永遠はない

組織が変われば、その中の考えかたもいずれ変わる時が来る。何はともあれ「変革」は必要である。英断、決断はどこかでやらなければならないが、そのタイミングを的確に計ることも大事で、その方向性、何処に向かって舵を切るのかが問われることにもなる。

昨年2月、最後に電話で交わした池田敬子前会長との会話の中でこう言われた。

「ちょうど良いタイミングだったのよ。これからは任せるから連盟の事、お願いね」

ジュニア選手の育成を誰よりも早く提唱し、協議会を立ち上げるまでの苦労話は常々聞かされていた。既に出来上がっている組織の一員となった者としては、大切なものを壊してはならないと思うことで精一杯だった。

組織を維持することの難しさは、中に入ってみないと分からない。外にいる時は「あれもダメこれも気に入らない」と言っていられるが、不満や不平を聞く側に回るのは大変な事。だからと言って、万人に満足してもらえるような魔法などはない。大会の為の準備は、その時だけのことでなく、毎回、反省をしつつ新たな取り組みにも心を配る。

「変革」と言っても、今あるもの全てを捨てることではない。良い歴史は残さなければならないだろうし、その見極めが必要である。単に”無駄を省く“と言うことだけではなく、何を無駄とするかの正しい検証が求められる。協会が「脱・競技本位」とした時、もしかしたら選手のことを忘れたのではないかと感じた。そして、今回より大会の直前に事件が起こった。

良いことも悪いことも「すべては経験」である

ある今年の大会で出会った選手、コーチの方々。リーダー会議ではうるさい事ばかり言う私に皆さん辟易されたことだろう。それでも、Cクラスの表彰の時、短い期間に良い選手を育てましたねと声をかけると「2月の指導者研修会のお陰です」と言ってくださった先生。また、荷物の置き場になっていることを注意した時のコーチの方が終了時に来られた。「注意して頂きありがとうございました。日頃の私が行き届きませんでした」これは嬉しい一コマだった。この様な指導者が居れば、これから選手は良くなっていくだろうと期待できる。

私のような昭和の人は二を聞いたら十を知れ“と言われて育った。―つを聞いてあとの九つを考えるというのは、想像力を働かせるしかない。あらゆるものが目から飛び込んでくる現在では、考えている時間も与えられない。想像するより目の前のものを如何に早く処理できるかが、優劣の決め手になっている状況の中では「人を育てることの難しさ」は誰しもが感じていることだろう。与えられた環境の下で最善を尽くすことが使命ならば、成功も失敗もすべてが経験として活かしてほしいと思っている。

写真提供:オールスポーツコミュニティー
写真提供:オールスポーツコミュニティー

選手育成に必要なこと
〜先ずはコーチが自ら学ぶ姿勢を〜

オリンピックが近くなると、決まって取り上げられるのが、アテネ五輪での男子団体優勝の瞬間。富田選手が鉄棒で、着地と同時に金メダルが決まった時の「栄光への架け橋だー!」と実況したアナウンサーの声と“ゆず”の歌声。そして、今年のパリ大会でも、体操男子団体と同じように、いくつかの競技種目で「逆転」での勝利場面が多かった。フェンシングの金メダリストは「恐怖、不安から逃げない」ための練習を重ねたと言う。

代表になれば、喜びと同時に“プレッシャー”は誰しもが持つものだろうし、思うように練習が進まなければ“ストレス”も感じる。これらを回避するためには、練習で乗り越えるしかないのだが、人間はそれほど強くない。そのために言い訳しながら「逃げる」ことを選ぶ。どこに逃げるかが問題で、そこに人間性が出てくる。“スペシャリスト”という言葉も耳にするが、スペシャリストに失敗はないのかというと、逆にたくさんの失敗を重ねているからこそ、成功にたどり着いたのではないかと思われる。

全日本ジュニア最終日、オリンピック代表の岸里奈さんと中村遥香さんが出場した。オリンピックから帰国してわずか十日。あのきらびやかなオリンピックの会場とは趣の異なる大会に、疲れも残っているはずの身体で、代表選手にふさわしい演技を披露してくれた。

中村遥香選手の“段違い平行棒”は、彼女の得意とする種目である。今回は、本来の組み合わせを少し変えていたように見えたが、正確な位置で技をコントロールできる空中感覚は、身体能力の高さを示すものである。

また、岸里奈選手の“ゆか”は、奥行きのある身体の動かし方、指先まで神経の行き届いた使い方など、採点規則の意図する「表現」にマッチしたものであった。

体操競技(新体操も含めて)やフィギュアスケートのように、音楽と切り離せない採点競技は、芸術性として音楽に対する理解、曲の特性を知ることも必要である。それゆえ、感性の豊かさを兼ね備えた技術が求められるのである。生まれつきの素質と捉えられることも多いが、練習過程で習得することも可能である。以前、日本の強化プログラム指導の一環で講習指導に当たったロシア(旧ソ連)のコーチは、「週に一日練習を休みにする。その一日は芸術的なことを学ぶための時間でもある。音楽を聴く、美術館で絵を観ることなどに充てます」と話していたことを思い出す。

岸さん、中村さんには4年後のロサンゼルスに向けて、再びメダルを目指す頑張る姿を見せてほしい。もちろん、他の選手にも代表になる権利は十分にあるし、今後の女子の活躍を大いに期待したいと思う。コーチと選手がお互いを理解し、その持ち味を活かすセンスを持つことが大事なのだ。

「コーチの学ぶ姿勢」と「時代の先を読む目」こそが、優秀な選手を生む原動力になるように思う。

被団協がノーベル平和賞を受賞した日に

長澤稔子